1 主祭神(1柱)
神 名 | 事 績 | 御神徳 | 代表的な神社 |
猿田比古命 |
天孫降臨の際、天八衢に立ち迎えて邇邇芸命を筑紫の日向の高千穂に導いた。天宇受売命に送られて五十鈴川上に到った。漁中ヒラブ貝が手に食いつき、海に沈み死去。庚申や道祖神と同一視される。 |
導きの神。交通安全。殖産興業。災難除け。 |
椿大神社(鈴鹿市) 猿田彦神社(伊勢市) |
2 御祭神(24柱)
神 名 | 事 績 | 御神徳 | 代表的な神社 |
天照大御神 |
高天原を統べる日神。『古事記』では、黄泉の国から逃げ帰った伊邪那岐神が左の目を洗った時に現れた。
『日本書紀』本文では、伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に生まれた。 『日本書紀』第一の一書では、伊弉諾尊が白銅鏡を左手に持った時に生まれた。 天孫降臨神話では、孫の邇邇芸命に三種の神器を与え随伴として五部神(5柱の神)を付け、神勅を下した地上界へ送り出した。 |
皇大神宮(内宮)
賢所(宮中) |
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天児屋命 |
祝詞や祭祀を司る中臣氏の祖神。興台産霊または高皇産霊または神皇産霊の子。 天照大御神が天岩戸に隠れた時、岩戸の前で神楽を奏し布刀詔戸言を奏した。 天孫降臨の際に高皇産霊と天照大御神から神勅を授かり、邇邇芸命の供をした。 |
枚岡神社 春日神社 吉田神社 (いずれも奈良県) |
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布刀玉命 |
祭祀を司る忌部氏の祖神。高皇産霊の子。天忍日命の弟。 天照大御神が天岩戸に隠れた時、勾玉や鏡などをつけた榊「太御幣」を手に持って、天照大御神の出現を祈願した。 天孫降臨の際に高皇産霊と天照大御神から神勅を授かり、邇邇芸命の供をした。 |
安房神社 天太玉 命神社(奈良県) |
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倭比賣命 |
景行天皇の御代、豊鍬入姫命に代わり天照大神の御杖代として奉仕。天照大御神の鎮まるべき場所を探し求め、伊勢の国に神宮を創建。 倭建命に草薙剣と火打石を授けた。倭建命は遠征中それにより命が助かった。 |
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天照大御神荒魂 |
天照大御神の荒魂。元寇の神風は天照大御神の荒魂によるもの。 荒魂は活動的な霊魂で、荒々しく戦闘的な方面の作用を持つ。祟りを起こすことがある。 |
武運、災害除け | 荒祭宮(神宮) |
大比古命 |
川俣県造の遠租。亀山市加太に川俣神社がある。 鈴鹿郡を立ち寄った倭姫命に、「味酒鈴鹿国奈具波志忍山」と応え神宮を造営(忍山神宮、いまの忍山神社)し、6か月後倭姫命が旅立つ際に神戸と神田を献上した。 |
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大若子命 |
天日別命の5世の孫。豊受大神宮(外宮)の神職であった渡会氏が租神と仰ぐ。 伊勢国に立ち寄った倭姫命と桑名の野代宮(桑名市の野志里神社あたりか)で出会い、伊勢国をともに回って案内し、自らの領する伊勢国南部を神宮に献上し伊勢の神宮の初代大神主となった。 |
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乙若子命 |
大若子命の弟。兄と共に倭姫命を出迎えた。 麻神(ぬさはらえ)・蒭霊(草人形)などの罪や穢れを祓う道具を倭姫命に献上し、倭姫命それらを用いて祓いをおこなった。 景行天皇・成務天皇・仲哀天皇の3代にわたって、豊受大神宮(外宮)の大神主として奉仕した。 |
大間国生神社 梅宮神社 |
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天宇受女命 |
天岩屋戸に天照大御神がこもった際、その前で神がかりして舞うことで天照大御神を外に出すことに成功した。その様子は、伏せた桶の上で大きな音を踏み鳴らし、乳房と陰部が露わになるほど激しいものであった。 また天孫降臨の際には邇邇芸命に随伴した。天下りしようとした時天と地を光らせている神が待ち構えており、天宇受売命が名を問うたところ「猿田比古命」であることが分かった。その猿田比古命の先導で無事地上界に下った後、邇邇芸命の命により猿田比古命の名をもらって「猨女」と名乗った。 なおナマコの口が大きく裂けているのは、邇邇芸命への献上品を選定中、口を利かなかったナマコの口を天宇受売命が小刀で斬ったからである。 神名の「ウズ」は髪飾りのこと。 |
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大山津見神 |
偉大なる山の神。伊邪那岐神・伊邪那美神の御子神。 ヤマタノオロチ退治神話に登場する櫛名田比売の祖父と紹介される。 また、邇邇芸命と結婚する木花佐久夜姫神(御祭神)は大山津見神の娘である。この2者は本来別の山の神か。 日本書紀では女神(邇邇芸命聖婚条)、古事記では男神として登場する。 |
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豊宇賀売命 |
和久産巣日神の子。 元は稲倉山で飯を作っていたが、比遅乃麻名韋(ヒジノマナイ:現京都府宮津市)に遷った(『摂津風土記』)。 伊勢の神宮の豊受大神宮(外宮)の御祭神と同神とされる。 |
五穀豊穣 |
眞名井神社(籠神社の奥宮:京都府宮津市) 豊受大神宮(外宮) |
神吾鹿葦津比売命 |
邇邇芸命(ニニギノミコト)と結婚し、火照命、火須勢理命、火遠明命を生む。父親の大山津見神は姉の石長比売(イワナガヒメ)と合わせて邇邇芸命に献上した。しかし、邇邇芸命は姉を帰し妹と結婚した。 吾田は「阿多」(鹿児島県加世田市から野間半島にわたる地域)で、その地の巫女だった。 木花之佐久夜比売の別名。 |
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饒速日命 |
物部氏の祖先神。忍山宿祢命は物部氏の流れである。長髄彦(ナガスネビコ)の妹ととの間に宇麻志麻治命(ウマシマジノミコト)を生む。 部下の長髄彦が後の神武天皇と戦を起こしたが、饒速日命は長髄彦を殺し恭順した。 |
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大水口宿禰 |
穂積氏(物部氏系)の遠祖。 『新撰姓氏録』「左京神別 天神 穂積臣」では、伊香我色雄命と新河小楯姫命の子、饒速日命の6世孫とある。 『日本書紀』崇神天皇7年8月7日条に、倭迹速神浅茅原目妙姫と伊勢麻績君とともに同じ夢を見て、大物主神と倭大国魂神の祭主をそれぞれ大田田根子と市磯長尾市にするよう告げられた旨を天皇に奏上したとある。 『日本書紀』垂仁天皇25年3月条では「一云」では、倭大神を祀るようにと倭大神が大水口宿祢に神懸かって告げた。 |
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忍山宿禰 |
穂積氏(物部氏系)の祖。『日本書紀』景行天皇条に、日本武尊の后である弟橘媛の父として登場。 『古事記』成務条に、成務天皇の后である弟財郎女(オトタカラノイラツメ)の父として「忍山垂根」の名で登場。 |
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建速須佐之男命 |
『古事記』では、黄泉の国から逃げ帰った伊邪那岐神が鼻を清めた際に生まれた。 ―出自― 『日本書紀』本文では、伊弉諾尊と伊弉冉尊の最後の子として生まれた。勇敢で残忍な性格であり、いつも泣きわめいくため人民の多くが早死にし、国土が荒れた。そのため両親の神は根の国に追放した。 『日本書紀』第一の一書では、伊弉諾尊が白銅鏡を見た時に生まれた。残酷で乱暴な性格のため根の国を治めさせた。 『日本書紀』第二の一書では、伊弉諾尊と伊弉冉尊の第二子(第一子は蛭子)として生まれた。性格が悪いため根の国を治めさせた。 『日本書紀』第六の一書では、『古事記』と同じ。始めは天下(葦原中国のこと)を治めさせていたが、母のいる根の国に行きたい言うため追放された。 |
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大名牟遅命 |
大国主神のこと。出雲大社の御祭神。 葦原中国を治めていたが、天孫降臨において邇邇芸命に譲り、出雲国で隠居。 |
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伊邪那美大神 |
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小花佐久夜姫神 |
神吾田鹿葦津姫命と同神。 邇邇芸命(ニニギノミコト)と結婚し、火照命、火須勢理命、火遠明命を生む。父親の大山津見神は姉の石長比売(イワナガヒメ)と合わせて邇邇芸命に献上した。 しかし、邇邇芸命は姉を帰し妹と結婚した。吾田は「阿多」(鹿児島県加世田市から野間半島にわたる地域)で、その地の巫女だった。 |
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市木島姫命 |
『古事記』『日本書紀』で、天照大神と素戔嗚尊が天真名井(アマノマナイ)での誓約(うけひ)の際に天照大神が素戔嗚尊の剣を噛んで噴き出した霧から生まれた神。 宗像三女神の一柱。 七福神の弁財天。 |
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菅原道真 |
右大臣。遣唐使の廃止を訴えた。 藤原時平の讒言により大宰府へ左遷。漢文に精通していた。 |
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伊香我色雄命 | 物部連の祖先。『日本書紀』崇神天皇7年8月7日条に、卜占の結果、大物主神を祀るための神班物物(カミノモノアカツヒト、神に捧げる物を割り当てる人)に任じられた。崇神天皇7年11月13日条では、物部の八十平瓮(ヤソヒラカ)を祭神の物(ご神体)として割り当てた。祭主は大田田根子。 | ||
建日方命 |
『倭姫命世紀』に倭姫命が伊勢の国に到着(桑名)した際、倭姫命から国の名を尋ねられ「神風の伊勢国」と答えた。 舎人(身の回りの世話をする人)として弟の伊爾方命を捧げた。 |
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伊爾方命 | 建日方命の弟。 |
由緒にある御祭神
猿田比古命 天照大御神 天児屋根命 天布刀玉命 倭姫命 天照大御神荒魂 大比古命 大若子命 乙若子命 天宇受売命 大山津見神 豊宇賀乃売命 小花佐久夜姫神 饒速日命 大水口宿禰穂積命 忍山宿禰 建速須佐之男命 大名牟遅命 伊邪那岐大御神 伊邪那美大御神 市木島姫命 火産霊神 菅原道真公 保食神 伊香我色雄命
猿田比古命 建速須佐之男命 大名牟遅命 天照大御神 天児屋根命 布刀玉命 乙若子命 大比古命 伊爾方命 建日方命 天宇受女命 倭姫命 大水口宿禰 伊香我色雄命 神吾鹿葦津比売命 忍山宿禰 豊宇賀売命 菅原道真 大山津見神 伊邪那美大神 火産霊神 市木島姫命 大若子命 小花佐久夜姫神 保食神 天照大御神荒魂